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「このたびは東京マラソンへご応募いただき誠にありがとうございました。平成21年8月1日から8月31日の募集期間にて、定員を大幅に超える申込みがあり厳正なる抽選を行いましたところ、当選とさせていただきました。」


10月13日、これまでにマラソン経験のない私が気紛れで応募した大会で、倍率9倍の難関を突破してしまったのです。本番まで4ヶ月半、かなり計画的にトレーニングすることが必要です。数日後にはシューズやウェアやラップ時計を買い込み、準備万端(のはずでした......。)


それから1ヶ月半後、きちんとした練習も出来ないまま11月末を迎えていました。私は既に自力での練習はあきらめ、エントリーした本番レースで練習する、という作戦に出ました。12月20日の10km走、翌1月10日のハーフマラソン、1月31日のフルマラソンがそのレースです。


10km走、ハーフマラソンを完走したいま言えることは、長いレースになればなるほど"ごまかし"が効かない、ということです。10km走の時には感じなかった苦しみをハーフマラソンでは感じます。それは折り返し地点(約10.5km)を越え出した頃から、頭の中で「もうやめようよ」というささやきが始まります。すると心肺機能の限界や体の痛みを感じている訳ではないのに足が止まろうとします。これは完全に気力の問題であり、おそらく未知なる世界への恐れなのではと思います。


その時に感じたことはしっかりした練習をしていないために、未知なる世界への恐れが発生し、自分の行動を自制するということ。つまり普段からきちんとした準備をしていないと本番では自信を持って前に進めないこと。それが10kmぐらいの距離なら騙せるが、ハーフマラソンほどの距離になると騙せないということ。これはスポーツの世界も仕事の世界も同じで、本物の力を身に付けていないと、短期的には"ごまかし"が効いても、長期的には"ごまかし"が効かないということだと思います。


この経験から自分の胸に手を当てて、自分の中で何が"ごまかし"なのかを棚卸ししてみようと思いました。2日後には人生初のフルマラソンです。おそらくハーフマラソン以上の何かを感じるでしょう。今はその時に何が見えるかの結果を楽しみにしています。


(石黒)

今年はいろいろと考えさせられた年でした。


温暖化現象に地球の将来を憂い、
リーマン危機に人間が作った経済システムの不安定さを認識し、
頻発する凶悪犯罪に人間の危うさを感じ、
増え続ける自殺者に人間の儚さを覚えました。


でも多くの人にとってこれらの出来事は他人事であり、
時が経てば記憶は彼方に遠ざかってしまいます。


そもそも人間が生き続ける意味は何なのでしょうか?
また人間社会の存続の目的は何なのでしょうか?
人間の欲は何のために存在するのでしょうか?
そして知らず知らずに誰かを傷つけていることに
気付ける術はあるのでしょうか?


よく人間の一生は地球が生まれてからの時間に比べると
一瞬でしかないと言います。


ある人は「生とは意志なく始まるのだから考えてはいけない」と言い、
ある人は「役割を探し続けることにのみ意味がある」と言う。
またある人は「だからこそ自分が生きた証を残すために輝く必要がある」と言う。


もしかして「生きる」とは自分のためではなく、
将来に繋ぐことに意味があるのでしょうか?
できれば私は「人間の一生はその人のため」であって欲しいと思います。


では人間はどう生きればいいのでしょうか?


格差社会という概念の世の中になって10数年。
この社会は一部の人間が富と権力を握るモデルである。
これはどんな小さなコミュニティーにも起こる現象である。


世の中は勝者と敗者、使う側の人間と使われる側の人間に分けようとした。
そして皆はピラミッドの頂点を目指して争いを起こす。


でも本当に最後まで勝利者でいられるのは一人のみなのである。
ほとんどの人間は争いの過程で敗者となる。
そしてその社会からは抹殺される。


これは「生きた証」の残し方が間違っていたのだと思う。
皆が同じ頂点を目指し過ぎただけなのである。


いま世の中に必要なのは「生きた証」の残し方を正しく定義して
生きる意味と役割を知らせてあげること。


人間はそれぞれの個性を尊重すれば争う必要はないのです。


「生きた証=偏った社会での勝者」
この構図が間違った考え方だったのです。


2010年、情熱経営プロジェクトは新たな一歩を踏み出すことになります。


「思いに未来は共感する」


私たちは「生きるための正しい思いづくり」に邁進します。


(石黒)

資本主義の崩壊や地球環境の破壊が現実として迫ってきています。
これまでの歴史の延長線上に人類の幸福はない、と言い切る人も多くいます。

ではどうすればいいのか?

多くの人は一人ひとりの意識が変われば、世界は必ず変わると......。

私どもの「情熱経営フェスタ」も、前回2007年時のメインコピーは
"5,000人の情熱がきっと世界を変える"でした。

でも、このような疑問を感じたことはありませんか?

確かに一人ひとりの意識が変われば、
自分達のエゴだけで生きてきた人も周囲の人に気遣いができるようになり、
人々が暮らし易い優しい世の中になるかもしれません。
また、経済システムにせよ仕組みやルールの変更は出来るかもしれません。

でも一度、崩れてしまった自然のメカニズムまでもが
人間の意識の変化だけで元に戻すことが出来るのか、と。

この問いかけに明確な答えを返してくれたのは
先週お会いさせていただいたジュード・カリヴァン博士でした。

博士の答えは一言「ニュー・ソリューション」でした。

本来の人間は生成発展的に考える生き物なので意識が変わると、
新たな意識で新しい発想をしていくそうです。

つまり「意識が変わる→世界が変わる」という単純な図式ではなく、
「意識が変わる→新しい解決方法を見つける→世界が変わる」ということなのです。

ただし自信のない人間はとかく自分の経験していないことを否定しがちです。
私が船井会長に繰り返し教えられたことも「知らないことは否定するな」でした。

何かを学べば新しい解決方法が身につくのです。
昨日までとは違う自分になれるということです。

逆に変えるのが意識だけだとすれば躊躇する理由は何もありません。
仮にしっくりいかない自分がいてもまた意識を変えればいいのですから......。

「意識が変われば、世界は変わる。」
自分の成長が少しでも世界に影響できればと思います。


ジュード・カリヴァン博士
  量子物理学者、考古学博士、ヒーラー。
  90年代初頭は、
  大手グローバル企業のファイナンス・ディレクターとして活躍。
  イギリスのトップ・ビジネスパーソンと称される。
  96年、ビジネス界から退いた後は、
  科学とスピリチュアルを融合させた
  宇宙論に関するセミナー・講演なども行う。


(石黒)

「人間はなぜ自ら命を絶ってはいけないのか?」

最近の自殺者の増加を見てあるお坊さんが話をされていた。


「そこには理由はない。人間はこの世に生を受けた瞬間に
"可能な限り生きる"という定めを背負っているのです。」
と。

人間は何かから逃避するときに都合の良い理由づけをする。


もちろん様々な状況から止むを得ないという結論に達することもあるとは思うが、
人間として疑問を感じてはいけない領域があるということなのであろう。


情熱を持つということもこの"可能な限り生きる"という定めのための必然であり
疑問を感じるべき領域ではないような気がする。


「今日よりも素晴らしい明日が待っている。」


この一言を事実とすることが
"可能な限り生きる"という定めを背負ってこの世に生を受けた人間のするべきことだと思う。


そしてそれが情熱なのだと思う。


(石黒)

「"情熱"という言葉が実はあまり好きではないんです。」


2007年3月、"情熱経営フェスタ2007"のキックオフ・ミーティングの
スピーチで私はひとつの思いをカミングアウトした。


部署の責任者の立場としては、思い切った発言であった。


そのときの話はこうである。

「"情熱"という言葉は、どうしても太陽や火のように目立つ存在のエネルギーだけがクローズアップされ、あたかもその目立つ存在が全てのような印象になりませんか?」という主旨のものであった。

人には様々な表現方法があり、話をするのが上手い人、文章を書くのが上手い人、態度で表現するのが上手い人、また話をするのが上手い人の中でも、1対1が得意な人、1対多数が得意な人、熱く語る人、冷静に話す人など様々である。

でも本当に気を配らねばならないのは、表現そのものが不得意な人も世の中にはいるということである。


例えば会議の場で「何か意見はありませんか?」と聞いたとする。でも思いはあるのだが、表現することができない人は案外多い。普段の仕事の中では職業柄それも困るので、克服するためのトレーニングを課すことになるのだが、"情熱経営フェスタ"のような大掛かりなプロジェクトでは、多くの人が関わり、その役割も様々なので、中には表現しなくとも済む役割も存在する。
(全く表現しないのも困りますが......。)

"情熱経営フェスタ"は、世の中にある全ての存在に光があたるようなものにしたい!と思っていた私には、この"情熱"という言葉があまりにも熱すぎて、その輪の中に入り込めない人もいるのではないか?......と。

スピーチのあと、いろんな人が共感してくれて、
「よく言っていただきました。」とか、
「そうだ!そうだ!」との声もいただきました。


「でも象徴はいるんじゃない?そうでないと行き先を見失うじゃない?」

その言葉に我に帰った私はこう考えた。確かにそうだ"情熱"という太陽の存在を象徴にして、"チーム情熱フェスタ"の名の下にメンバーがまとまればいいのです。(かなり素直な性格です。)

そのような思いで、情熱(特に熱)という文字をじっと見ていると不思議な事に気づきました。この文字の中には土もあるし、土と土を結ぶ連結機もあるし、
4本の足も大地をとらえているし、何しろ世の中を包み込むための丸という文字もある。

つまりいろんな人の思いを包み込んだ象徴が"情熱"という言葉ではないか?と。
(さすがに昔の人はうまく文字を作ったものです。)

今年もまた"情熱経営フェスタ"はパシフィコ横浜で5,000人の人々、いやその場にいる人だけではなく影響を受けた人々を合わせると何万人という人の思いが結集する一大イベントになることでしょう。

そして全ての存在が"チーム情熱フェスタ"の一員として輪の中に入れるのです。特に内気な人、表現力が弱い人、自信を失っている人などで、この輪に入ることを躊躇している人がいるとすれば、"情熱"は熱い太陽のような人だけのためにあるのではなく世の中にある全ての存在のためにあるのです。

そして9月10日(木)は、自分だけが気づいている自分の役割に乾杯する日なのです。是非ともこれからの7ヶ月間この世の中の存在であることに感謝して生きてみませんか?"チーム情熱フェスタ"の一員となって。


(石黒)